バリ島テロ事件 2002年10月12日
ディスコ Sari Club前で発生したテロについて報告します.
10月24日現場訪問.
私がバリに滞在している間に爆弾テロ事件が起きてしまいました.当初は紀行文を掲載する予定でしたが,作成中の間は爆弾テロ事件後の現場付近の様子を伝えます.
犠牲者の方々のご冥福と負傷者の方々の一刻も早いご回復をお祈りいたします.
テロの根絶,Baliの,そして世界の平和をお祈りいたします.
今回のバリ滞在は2002年10月7日から25日です.
事件の第一報
事件の第一報は新聞だった.このとき私はBali北部のLovinaに滞在していた.事件は10月12日2330ごろに発生した.明朝の新聞を何気なく見たら,火の手が上がった建物の写真と,人が倒れている写真が一面に大きく報道されており,インドネシア語の記事は読めない,ただ,地名のKUTAという文字が印象に残っていた.
この時点では何か大きな火災でもあったのかと思っていた.
普通に車をチャーターして寺院めぐりにでかけた.しかし,昼間立ち寄ったワルンで,単なる火災ではなく,爆弾の爆発であることを知った.
ガイド氏はKUTAでBOMBがあったという.私はすぐにテロか?と聞く.ガイド氏はおそらくそうだ.と答える.
おりしも時は10月12日,昨年のアメリカ同時テロから約1年1ヶ月.ワルンにあった新聞.10月13日付NUSA紙1面. |
新聞に見入る店主(左)とガイド氏(右) |
夕方,ホテルに戻り,インターネットをチェック.Yahoo!Newsを見る.どうやら死傷者は数百人以上にのぼるらしい.だんだんと惨状が明らかになってきた.現場となったSari Clubの場所もネット上の地図で確認する.メールを開くと私自身に関する安否確認が友人,家族から多数寄せられていた.すぐに今はSAFETYであることを返信する.
ホテル併設の食堂にあるテレビではなまなましい映像が流れていた.カナダ人が英語番組を見せてくれと言っており,定期的に放送されているらしい英語のニュース番組も流れていた.
辞書を片手に新聞を読んでみると,かなり大規模な爆発らしかった.
ホテルスタッフ氏は,このテロ事件であと1年くらいはBaliの観光はだめになるだろう.と.
以上は事件発生後数日間のLovinaにおける見聞でした.
事件から1週間後,私はUbudに滞在していました.
ロスメンスタッフWAYAN氏:テロのあとお客さんが全くいなくなった.損する.どうしよう.とてもストレスだ.と毎日のように愚痴をこぼしていた.
実際,街は閑散としており,どこのお店のスタッフと話してもみんなテロの後お客さんがいなくなったという.確かに,UbudでCalonarangダンスの公演に行ったときも最少催行人員の2名しか客がおらず,貸切というか,逆に踊り手に私たち2人が見られているような感じでした.
この旅行の最後,10月24日は現場から1kmほどのLEGIANに宿泊する予定だった.今現場周辺はどうなっているのかとWAYAN氏に聞く.と,「警察がたくさんいて警備している.」
また,WAYAN氏は「BALIではみんな神様を信じている.おまえも知っているだろ.ここUbudでは毎日みんなお祈りしている.だからここは安全だ.」
私もお祈り.
UbudからBangliにSembayang(お祈り)に行った帰り道,Gyanarで警察による検問が行われていた.ドライバー兼ガイド氏はテロのあといつもだと.警察は,Sembayangか?(われわれがBali正装だったのでそう聞いたのだろう.),どこからどこへ行くんだ?などと聞いていたように聞こえた.運転手は免許証等をチェックされていた.
UBUDで日本人の方と会った.半日観光に同行した.彼はテロ後に日本を出発したが,みんなに止められた.今行くのはバカかなどといわれたらしい.しかし,彼は言う.この事件でどれだけのBali人が失職するか.今Baliを助けることはBaliに遊びに行ってあげることだ.
また,彼が言うには大阪発デンパサール行きは飛行機に30人くらいしかいなかった.また,名古屋,福岡便は乗客減少で運航が乱れているらしい.
Tanah Lotに行った.ここは夕日がきれいな場所として有名であり,毎日多くの観光客が訪れるはずだった.ガイド氏はいつもなら海沿いのレストランの座席は満席になるのに.誰もいない.
この他にいくつかの観光客向けの土産屋が並ぶような寺院に行ったが,みんな商売あがったりである.
12日後、現場を訪問
10月24日,当初に予約していたLegianのホテルに向かう.さらに徒歩で約1km先の現場に向かった.メインストリートのJl. LEGIANは途中から車両通行止.人通りは非常に少なく,これがLegianどおりかと思うと無気味な静かさでさえある.現場に向かう途中では数100m以上先でもガラス飛散等の大きな被害があり,商店も軒並み閉鎖や,後片付け,修復を行っていた.
徒歩では現場の50mくらいまで行くことができる.それより先はPOLICE LINEの黄色いテープがはってあり,武装警官,軍による警備や関係当局による現場検証,証拠物品の回収が行われていた.赤十字の服を着た人も活動していた.
周囲は地元の人観光客の人問わず常にたくさんの人が見守っており,涙を見せる人,ため息をつく人・・・.花をもって,お祈りに訪れる方も後をたたない.現場周辺に無数の献花,メッセージがある.他のBali広域エリアでもメッセージ,献花を見ることができた.
多くの人が見守る. |
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Sari Club があったと思われる場所. 車に仕掛けられた爆弾が爆発した路面には大きな穴が. |
向かいの建物. |
ガラスが飛散する. |
多くのメッセージ. |
現場を見た.私も目尻にあついものがこみあげてきた.
28/OCT/2002
NO TERRORISM !!