37日間 ミャンマー旅行記 沖縄那覇からヤンゴン

2004年3月1日から4月7日

家を出て,バスに乗ったところで非常に激しい雨となった.那覇市内に向かう道路は平日の朝は渋滞だがそれに雨となるとますます渋滞.モノレールの接続のため,途中で降り,那覇空港へ向かう.

空港に着くころには雨は上がっていた.国内線ターミナルのレストランで高い朝食1000円.旅行中これがもっとも高い飯となった.

那覇の国際線ターミナルは国内線とは別の場所にありひなびた感じ.那覇空港の旧ターミナルをご存知の方には懐かしい造りだ.国内線旧ターミナルと同じような感じ.

中には売店が1件,食堂が1件ある.搭乗待合室(出国手続き後)にも売店が1件.両替はない.

那覇から台北まではチャイナエアライン.1時間のフライト.飛行時間が短いので本格的な機内食は無く,このような簡単なもの.離陸後すぐにサービスされるが,食事がおわるころには降下開始.

あっという間に台北には着く.台北で数時間の乗り継ぎ.台北の空港は異常に広い.ABCにに分かれており端から端までは20分以上歩くことになるかもしれない.ひまなので端から端まで行ったが,あまり店は充実していない.バンコクなんかはかなり店が充実していると思うが,そこに比べると少ない.Cゲートの方にある軽食コーナーでめんをちゅうもん.

台北はゲートの変更が激しいので要注意.沖縄でチェックインした時にかかれていたゲートが出発案内のモニタで見たところ早速変更になりそのゲートに向かったところ係員が待機しており,またもや変更になったと.係員はイスラエル人と話しており,なにやら15分以上歩いていかないとだめで,正反対の場所にあるみたいだ.イスラエル人と一緒に行けというので新しいゲートに向かう.

東京からの便がちょうど着いたらしく,東京からバンコクに向かう日本人客が大量にバンコク行きに流れ込んできた.機内では「おー多国籍だ」と驚いていた人がいたが,東京-台北の便はほとんど日本人しか乗っていないのだろう.

チャイナエアラインの台北バンコク線.4時間ほどのフライト.後ろの席の欧米人が飛行機マニアらしく,大きい声でずーっとどこからどこまでが何マイルでどうたらこうたらとしゃべっているのが聞こえた.うるさかった.

またバンコクで数時間の乗り継ぎ.ここで,ヤンゴンで待ち合わせをする友人にメールで連絡をしようとネットコーナーにいったが高い!ちょっとメールをするだけで75バーツ.

トランジットカウンターではJAL74便東京行きは成田空港雪のため欠航という張り紙がしてあり,その前で数人の客が困ったように立っていた.東京は大雪か.

ミャンマー航空ヤンゴン行き.搭乗ゲートでもパスポートとビザのチェックがあった.この便にはインド人の団体客もたくさん乗っていた.

ヤンゴンでは機から到着ロビーまではバスでのご案内だった.期待通り埼玉・千葉で運行している「東武バス」の車体だった.

入国審査も税関も何の問題も無くパス.強制両替は行われていなかったが,カウンターは残っていた.

タクシー,言い値が5ドルで,交渉しても4ドルにしかならなかった.最終便で夜だったので夜間割増だという.こちらもかなりお疲れだったので4ドルでスーレーパゴダに向かう.タクシーの運転手はミャンマーは何回目だとかどこに行くんだとかとお決まりのことを聞いてきた.

車窓から見えたシュエダゴンパゴダに感動.ヤンゴンにやってきたぞという実感が湧く.街を歩いている人もほとんどロンジーだし.

途中で運ちゃんはちょっと体調が悪いらしく,「別のタクシーに乗ってくれ」と言い出した.何事かと思ったが,次のタクシーを拾ってくれ,お金をいくらか渡していた.本当に体調が悪いみたいだった.大丈夫か?

車を変わり,まもなくスーレーパゴダに到着.マハバンドゥーラGHはフルだといわれたので,すぐ向かいのガーデンGHへ.

4ドルで窓の無いファン付の狭い部屋,チャチな朝食付.にチェックイン.疲れていたのかろくに荷も解かぬまますぐに寝てしまった.

夜のスーレーパゴダ.ガーデンGHからの眺めは最高.

2004年3月-4月 ミャンマー ヤンゴン