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2000.6.19
第4回 延べ滞在18~24日目の記録
第4回目のうちなー滞在記
1999年2月24日(水)から3月2日(火) 6泊7日
友人と2人の旅でした。

1999/2/24

この日はラッシュを避けるためと一緒に行く友人に今回のたびの概要を説明するために少々早めに集合し、羽田空港へと向かった。お決まりの朝の常磐線に乗り込み、上野へ。…浜松町からモノレールと乗り継ぐ。眼下に混濁した東京湾を見ながら、この先の旅のことを考えながら空港へ。羽田空港で那覇から宮古までは船では時間がかかりすぎるということで、時間と予算と相談の結果、予定変更し那覇宮古間もスカイメイトを利用して飛行機で行こうということになる。

機内の軽食はあまり期待できないので、羽田空港の売店でいなりずしを仕入れる。飛行機に乗り込み、いよいよ離陸。この離陸の時の感じはなんかいいですね。飛行機はやがて水平飛行となり飲み物と軽食が配られる。下は雲海。沖縄の天気はどうかな、と思いつつ。機内で、友人のF君にはOKINAWA VISITORS HANDBOOKの第2版を読んでもらい、沖縄の概況を知ってもらった。私は、昨晩2時間50分しか寝てなかったのでさっそくお疲れモードになってしまった。

航空機は那覇空港への着陸体勢に入った。天気は曇り。あまりはっきりしないようだ。不思議なことに、帰ってきたと感じるんだよ。沖縄に。(沖縄病だからだろう、といわれるとそれまでかもしれないが。………)荷物を受け取り、宮古行に乗り継ぐため徒歩5分ほどの第2ターミナルへと急いで向かった。なにせ、カウンターのお姉さんに、出発時刻が近いから、お急ぎくださいといわれてしまったため。急ぎ足で向かっていると、暑い。暑い、暑いのだ。やっぱり2月とはおもえない。額には汗がにじんでくるし。これが亜熱帯なんだよ。

スカイメイトで那覇から宮古島のチケットを購入し、船のキャンセルの連絡を入れる。そして、搭乗口へ。この間かなり忙しかった。F君には沖縄第1歩から忙しい思いをさせてちょっと悪かったかな。飛行機の乗り継ぎだなんてずいぶんと遠くへ行くものだと実感する。ここできになったのだが、羽田空港と、那覇空港第2ターミナルの金属探知器にはほぼ同じ装備で通過したのだが、羽田ではピンポンなったのに、那覇では鳴らなかった。警備は甘いのでしょうか。

那覇から宮古島まではJTA日本トランスオーシャン航空です。この航空会社の機内誌「CORALWAY」は、一見の価値があります。この機内誌は他の航空会社の機内誌とは違い、沖縄の話題1本で編集されており、資料としても大変役にたつ。だから、私は新しい号が出る(季刊年4回)度に、飛行機に乗ってご自由にお持ちくださいを実行できれば良いのだが、そうも行かないので、都内まで仕入れに行っている。飛行機に乗ればご自由にお持ちくださいなのに、都内までの交通費と、価格\480を払っている。逆に言うと、そこまでしてでも手に入れる価値がある、といいたいのです。

いよいよ宮古島空港に着陸です。天気は曇りです。わたしは、寝不足もあり疲れていました。宮古島に初の上陸です。船で行く当初の予定より1日早く着いたので、宿に電話して交渉することに。ところが、いっぱいだよといわれ、隣の旅館があいているみたいだから、そちらを紹介するよということで、隣の宿になることに。結局、4日間ここにお世話になることに。部屋は6畳にベッドが2つ、無料テレビにクーラーがあった。扇風機もあった。ただ、部屋によってクーラーがあったりなかったりすることもある。

古謝本店で夕食をとり、平良市街を散歩。途中の宮古レコードセンターで沖縄限定発売のCD(AYUMI「夢があるから」、ne'er「With You」)を購入。A&Wに入り、ルートビアに舌鼓をうつ。友人のF君はこの味が気に入ったらしいが、私はオレンジジュースのほうがいいな。

1999/2/25

いよいよ2日目。1日目はほとんどが1800kmの移動に費やされてしまった。朝8:05に起床したのだが、まず驚いた。ぜんぜん寒くない。半袖Tシャツ一枚、毛布1枚で寝てたのに。本土でこんなことしたら間違いなく風邪ひくのに。天気は曇り、室温は24.2度。だって、街中をキャミソールの女の子が歩いてんだよ。2月に。

シャワーを浴び、弁当を食べる。このシャワーについてなのだが、私が操作すると水しか出ずに2日間ほどは水浴びとなった。友人のF君が操作すると熱湯が出るらしかった。水道が人を選ぶのか、単なるボイラーの不調なのか、3日目あたりに操作方法がわかってきて問題は解決したのだが。しかし、水浴びでも何とかなってしまうほど暖かい。寒かったけどね。

11:00、徒歩で熱帯植物園と、平良市総合博物館へ向かう。時々晴れ間も見えてきた。目的地までは地図をみずに、GPSの経緯度情報だけを頼りにしてみようということになった。結局途中で地図見たっけ。晴れると暑い。日差しがもう夏の日差しだ。東京の2月ではとても想像がつかない。途中、道こっちでいいのかな。と何度か思ったが、12:04になんとか植物園に到着。

植物園、その近くにある平良市総合博物館と見て回る。博物館では結構詳しく見たので、後半時間がおしてきてしまい、最後のほうはあまり詳しく見られなかった。今日は17:00に西田さんとお会いする約束があったのだ。帰りも徒歩で行くとすると1時間かかるし、昼飯もまだ食べてないし。15:00ごろ、博物館を出発。きた道を戻る。タクシーがきたら捕まえようと車道に注意して歩いていた。車は何台か通過したが、この時は”ヒッチハイク”という文字が思いつかなかったのだろうか。あの娘カワイイじゃん…なんて思いながら歩いていた。と、するとどうだろうか。1台の車が止まった。相手の方から乗っていかない?と声がかかった。うれしかったね。なんと、その相手が先ほどあの娘カワイイじゃんの人だったんだな、これが。平良市街まで乗っけてもらった。

ご飯を食べて、宿に戻ったのが、16:39晴れ、雲量3、1016hPa、25.8℃。17:00に西田さんと待ち合わせをしていたので、宿の外で待つことにした。西田さんの車で上野村にある西田さん宅へ向かった。到着後、西田さんの畑に案内してもらい現在取り組んでいる実験・研究のお話を聞いた。その概要は、

  • 化学肥料や農薬は使わない。
  • 肥料は堆肥や水肥を用い、それらは自分の畑の雑草等を用い、畑内での肥料の自給自足を目指す。
  • いろいろな作物を隣同士に植えたりして、作物の共生関係の調査。
  • 農薬は用いないが、木灰、トウガラシ、木酢液などの自然から得られるものを虫除けに使っている。

畑を案内してもらった後、夕食をごちそうになることに。魚を焼くために自分たちで薪を集めてきて火をおこしたり、夕日を眺めながらお酒(もちろん、泡盛。)をいただいたり、久しぶりにアウトドア気分全開になった。そのご、場所を西田さんの部屋の中へうつし、いろいろなお話を聞いた。料理もソーメンチャンプルーなど、たくさんごちそうになった。そのお話の概要を以下に示す。

  • 行き詰まったら、発想の転換が必要。”常識”にとらわれない発想、アイディアが必要である。今の組織は”常識”にとらわれていて、良くない。
  • やはり、語学は重要。英語は今のうちは単語力を増やしておけ。
  • 環境は漠然とした分野である。そのため、何か一つ自分の専門の分野(中心となる学問)、これなら絶対に誰にも負けないという分野を持つこと。そうしないと、誰からも注目されない。

など大変に有益なお話をいただいた。
21:28タクシーにて宿へと向かう。タクシーの中での運チャンとの会話。

  • 新潟で雪が1日で30cm積もるという話しに運チャンは非常にびっくり。
  • 海はサメに注意。
  • 伊良部漁協とダイビングショップの調整がまだついていないので、いやな思いをしたくなければダイビングは控えたほうが良いだろう。
  • ハブクラゲ、ヤシガニなど危険生物が。危険生物について本で調べておくと良い。美しいバラにはとげがある。
  • 宮古の女の子は本気にしてしまうよ。

など。波止場旅館には21:43着。
こうして宮古の夜はふけていくのでした。

1999/2/26

09:30起床。天気快晴。
一階のお店のおばさんによると、2月のこの時期はこんな暑いらしい。12月でもこんなことがあるらしい。年間の最低気温は13℃くらいだそうだ。しかし、風が強く、体感温度はもっと低い。20℃越えたり、13℃になったりで温度差が大きく寒く感じるということです。

今日は、13:00に宮古地下ダム事業所の宮崎次長と待ち合わせがある。ひとまず、午前中は宿の周辺をうろつくことに。徒歩10分ほどのパイナガマビーチへと向かう。端っこのほうに散乱していた人工的なごみがきになった。しかし、何度見てもきれいなんだよね。真っ白な砂と透明な海とのコントラストは。まだ見たことがない人はぜひ写真ではなく実際に見に行くべきだと思います。昼食には古謝本店のラブラブそは。\700。

時間が近づいてきたので、タクシーで宮古地下ダム事業所へ。

次長の宮崎良さんにお会いする。最初に、地下ダムの概要のビデオを見る。その後、質疑応答をした。地下ダムに関しては別項をご覧ください。そちらに記載してあります。

地下ダムの主要施設(取水井、ポンプ場、ファームポンド)を見た後、城辺町友利にある水道ができる以前利用されていた地下水をたたえる洞、保良ガーの湧水、東平安名岬、来間島を車で案内してくれた。ありがとうございました。

来間島の展望台から眺める与那覇前浜のビーチと来間島との間の海の風景はまさに楽園のよう。

宿では、強力な2人組みと杯をかわした。彼らは幼なじみの2人組みでこれまでオーストラリアやアメリカなど、海外を含めて旅行をかなりしているという。バイクが好きで、バイクでいろいろなところに行っているという。国内では、沖縄がまだだということで来た。暑かったから、\30kのコートを海洋投棄したとか。何ともったいないと思ってしまった。お金がないので、キビ刈りのバイトでもしないと帰れないといっていたが、妙に元気で明るい2人だった。バイトがんばってね。4月からは大学がはじまるのだけれど、それに間に合うのでしょうか。ちょっと心配です。

1999/2/27

朝寝坊、例の2人と旅館周辺散策と相成りました。この旅もいよいよ佳境に入ってまいりました。

昼飯に、はいった食堂がなかなかよかった。ボリューム満点で、前に述べた沖縄の大衆食堂っていう感じのところでした。そのご、パイナガマビーチから海岸線に沿って南のほうに歩いていきました。途中から雨が降ってきたり、風も強いし、ちょっと寒かった。

沖に長大な防波堤のようなものが建設中だったが、その上には公園みたいなものもあったが、なにができるのだろうか。途中の岩場には洞くつが何個かありその中で子供たちが何かやっていた。

しかし、不法投棄が多いのには驚いた。これは全国共通の問題だが、どうにかならないものか。そのごみには車やエアコン、冷蔵庫のようなものの大きいものから、雑誌、ノート、さらには御霊前の空き袋まであり、びっくりしないではいられなかった。私はいろいろなところに出かけているがあらゆるところでこういったものを見る。いくら撤去したって、捨てる側の意識が変わらなければいけないのだが。

1999/2/28

宮古島を離れる日です。飛行機は1415発那覇行に乗る予定にして、それまではお土産を買うことに。途中、古本屋で私の研究テーマに使えそうな本を\12000くらい買った。本土ではめったにお目にかかれない本なので、多少高くついてもしょうがないか。

時間がないため、宿の1階でお弁当を買い、食べきる前にタクシーで宮古島空港へ。このタクシーの運チャンは同じ宿に泊まっていてもう1年半くらいいるそうである。

スカイメイトで那覇まで\6200を支払う。こんな環境で論文でも書いたらさぞかしはかどりそうだなと思いつつ、機上の人となる。那覇までは約30分の飛行時間。あっという間である。那覇空港につく。やはり都会だと思った。宮古島より気温が低いのがわかる。

那覇ではコバルト荘へ。ここは以前私が泊まって感じが良かったのでまた来ました。宿に着いてちょっとぐったりしていたのですが、話し合った結果、北谷のハンビーフリーマーケットへバスで向かうことに。県庁北口のバス停につくと、ちょうどよくバスが来たので乗る。客は私と友人の2人。そのご、途中から何人かのってきましたが。北前まで45分\530だった。しばらく歩き、CD屋を発見。しゃかり「心の声」を購入。その店のランキング8位でした。やはりKiroro、SPEEDは上位でした。フリーマーケットでは、なにを見つけたのか。それはここで書くともったいないので御自分でいってみることをお勧めします。衣類や使わなくなったものが置いてあるのはわかりますが、!?*#¥%&※□△○なものがいろいろあります。友人は、USAのものと思われる歯磨き粉を購入、とてもケミカルな色をしていました。工事の看板とかも\500で売っていたのでけれども、運搬が困難ということでかえませんでした。そのほか、携帯の画面に絵を入れてくれるコーナーもあった。絵は1000種類からえらべて、ここでは人気があるらしいです。東京で今こんなのはやってるっけ?と思った。この技術はここ限定なのだろうか。(後日注、東京でもありました。)このハンビーフリーマーケットは週末の夜が一番盛り上がるとのことです。

帰りは北前からバスに乗り、安里で降りました。こちらは乗客が何人か乗っていました。国際通り沿いのそば街角で夕食。

1999/3/1

9:33コバルト荘を発、A&W国際店で朝食。この時、友人はルートビアをおかわりしていました。今日は、那覇1日コースです。とりあえず、県立博物館へ向けて歩く。長い長い首里の台地の坂を登った先にあったものは、「本日休館日」そうです。今日は月曜日でした。博物館はまたの機会です。首里城へ向かいました。私3回目の首里城です。そのご、金城町の石畳をとおり、首里のおおあかぎにより、大道の暁書房で本を買い、壷屋へ。

国際通り周辺でお土産を一気に購入しました。

今晩は、コバルト荘の照屋夫妻と泡盛を飲みました。おつまみもいただきました。ちょうどよく、NHKで沖縄戦後の復帰のようすを綴った番組もやっていました。

夜食にラーメンを食べ、深夜の国際通りへ。卒業式がちょうど3月1日にやったところが多く、そのためかすごい人が多かった。とてもにぎやかでした。時間は午前1時前だったでしょうか。ブラックライトで装飾したクルマや、音響設備のすごいクルマなど。卒業シーズンなんですねこの時期は。今までいっしょだった友達が本土に行ったり、県内にいたり、バラバラになってしまうんですね。

1999/3/2

今回のたびの最終日です。

みやげの買い忘れを買い、波の上ビーチでのんびりすることに。

帰りたくないけど、やむを得ず、東京に向かった。その先は推して知るべし。夜の山の手線の状況と、常磐線下りは。特に山の手線はどうなっているんだ。両肩、両手が荷物で占領されているというのに。

電話番号リスト

波止場旅館(宮古島)平良市 ℡09807-2-4189 港から徒歩5分 素泊まり\1,500.
コバルト荘 (沖縄島) 那覇市 ℡098-863-9216 県庁から徒歩7分 素泊まり\3000.
琉球海運(那覇)098-868-1126
琉球海運(宮古)09807-2-2046