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2005年7月17日-18日 雨のマレーシア1泊2日
マイレージの特典旅行 なんかもったいないけど捨てるよりは良い

2005年7月作成 2007年2月11日写真追加
■多民族の交錯するマレーシアに2年ぶり2度目の上陸。









東京~那覇ヘビーユーズで獲得した第2回東南アジアマイレージ特権行使。マレーシアは英語もよく通じるし、マレーシア語も以前手をつけたことのあるインドネシア語と非常に高い共通性を持っているため簡単な会話なら可能だ。

■クアラルンプール空港から新幹線規格特急と新交通シャトルを乗継ぎ、クアラルンプール市街「Jamekモスク駅」から街に潜入。南西モンスーン雨季の雨。傘を差している現地人は皆無なためそれに従う。すでに日も暮れて辺りは暗い。





■アジアな怪しい香りのプンプン漂う路地のビルの一角にある目を付けていた安宿に迷いながら向かった。間違いなく「アジアの香り」である。

■ガイド地図など広げようものならカモられること確実。行きの機内で紙切れに何語か判別不能な文字で地図を手書きしておいた。なんとかビルまで着いたが3階へ続く階段は2階部分まで行ったところで板で封鎖されている。板にインド文字で貼紙。インド人の経営で客層もそのようだったのか。全く読めないが閉鎖されているのだろう。あるいは他の迷路の隠し入り口があるのかもしれない。狭い階段にも他の階へ行き来するアンちゃんがたむろしている。アジアの都市の安宿街はこんなものだ。


■そこは諦め再び雨の熱帯夜の街にさまよう。すると、見慣れた文字が多数飛び込んできた。日本語ではなかった。驚くべきことにミャンマー語の看板が狭い路地の両側に並んでいる光景が目に入った。連日の猛激務による幻覚か?その可能性も疑われる。先ほどのビル中で次元転送の扉を通ってしまったのか、定かでなはい。が、ミャンマー語であることは間違いない。ミャンマー語を判読すると会社や商店、食堂さらには床屋と見られる店も路地に並んでいる。中国語やインド文字、マレーシア語の看板なども交錯し、どこにいるのか不明になってくる。

■スイッチをミャンマーモードに切り替え、ミャンマー商店に入る。売られているのはミャンマーそのもの。食品や書籍、VCDなどが並んでいる。日本東京の高田馬場のミャンマーショップと同じだ。ここでミャンマー語の書籍を2冊購入。店員も普通にミャンマー語で価格を言う。まさかこんな所に日本人が来るわけはまずないだろうから…



■ビルの狭い階段の入り口に「トラベラーズホーム↑」という看板を発見。上がってみる。2階は別なミャンマーっぽい店とインド人の集会所その上の3階に安宿のフロントがあった。標準的な安宿レベルのボロさだ。扇風機有、アジア式トイレシャワー共同利用。窓からはミャンマーの匂いがかすかに入ってくる。マレーシア・クアラルンプールにもミャンマー街はあった。それもそのはずヤンゴン~クアラルンプール間には週6便のフライトがあるのだ。人とモノの交流はそれだけ活発のはずだ。



■付近を散策するともう22時を回り店はクローズ。翌朝は8時にチェックアウトで空港行き。







■マレーシアに行ったのにおみやげはミャンマーの本。という不思議なことが起きている。成田から7時間の直行便の威力。どこでもドアだ。そのどこでもドアの中にさらにどこでもドアが入れ子で存在しているのがアジア的混沌。距離的にはヤンゴンよりもバンコクよりも遠いクアラルンプール。ヤンゴン成田直行便が待ち遠しい。今回のような「走って急いで1夜のasianナイトツアー」が実施できるのに。



■すると、次の第3回マイレージ東南アジア特権がすでに行使できる状態であることに気がついた。さらに第4回特権往復もまもなく達成水準に届く。無限ループ。

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