2004年8月1日 沖縄那覇→台北→バンコク→ヤンゴン(同日接続)

沖縄那覇→台北

恒例の前夜準備で睡眠は4時間ほど.リポビタンD,アクエリアスと野菜ジュースという変則的な朝飯?をとる.

2004年8月1日朝,27系統バスで那覇に向かう.バスを終点の那覇バスターミナルで降りると,もうあまり時間が残されていないことに気がつき,タクシーで那覇空港国際線ターミナルへ急行.

 

那覇空港国際線ターミナル.国内線ターミナルの北隣にあり歩いてすぐ.立派な国内線ターミナルとは一線を画し,旧国内線ターミナル(なつかしいなあ)の様相です.

国際線唯一のローカル色豊かな食堂で本番の朝飯.モーニングセット520円.

 

那覇からはおきまりのチャイナエアライン経由です.

CI212便はBoeing737-800型機で運航,1140にブロックアウト,1152にROAHランウェイ36からテイクオフ.6分後の1158には高度10,000ftに達し,ベルト着用サインが消灯された.石垣島上空を離陸後33分後に通過,与那国島上空を40分後に高度28000ft,対地速度860km/hで通過,まもなく降下が開始され,ベルト着用山が点灯する.乗務員はこのベルトサイン消灯のわずか30分ほどの間に食事を配り回収とかなりあわただしい.離陸から69分後の台湾ローカルタイム1201に台北中正国際空港ランウェイ23Rに着陸.A1ゲートに1206ブロックイン.

台北→バンコク

CI695便へトランジット.ゲートはA3.1319にブロックアウト,1333にランウェイ23Rから離陸.離陸から11分後には対地速度767km/h,高度5700mに達し,ベルトサインが消された.

 

台北からバンコクまではAirbus330型機で全席にエンタテイメントモニタ付き.

 

コントローラの裏にはカード式衛星電話が会ったが使用できない模様だった.

映画The Day After Tomorrowをみているうちにタイ ドンムアン国際空港が近づく.離陸から3時間17分後のタイローカルタイム1550にランウェイ21Lに着陸.到着ゲートは46番,ブロックインは1559.

バンコク→ヤンゴン

さらにヤンゴン行きのTG306にチェックイン出発までにはしばらく時間があるのでインターネットで最後のメール.日本円1万円を3616タイバーツにチェンジ.

TG306は6番ゲートからバスでのご案内.機体はA300.ブロックアウトは1815,ランウェイ21Rから1835に離陸.高度28000ftでヤンゴンへ向かう.ずっと気流が悪く大きく揺れっぱなしで食事も安心してできない状況だった.そんな状況下でも客室乗務員は懸命に食事の準備をしていく.

離陸から53分後にはヤンゴンミンガラドン国際空港に着陸.ブロックインは1902.

入国審査の列に加わり,荷物は預けていないので(税関も紙渡すだけ)そんなに長い時間はかからなかった.強制両替も2004年8月においてはなし.ただ,以前強制両替所だったところが一応任意で両替できる銀行の出張窓口みたいになっているが,市中での両替よりも法外にレートが悪いのでここ空港内ではしない方が懸命.この時点ではまった人はたしか市中が1ドル約900チャットならの半分の約450程度の悪いレートだったと言っていたと記憶している.2004年8月時点.

タクシーカウンターで今宵の宿ホワイトハウスホテルへ直行.1930にはタクシーが空港を発っていた.タクシーカウンターでは5ドルが4ドルになった.外で交渉したり,国内線到着側でチャット建てで交渉するとこれよりも少し安いのかもしれないが,寝不足&長旅の疲労のため,その労力の投資に見合う値下がりも期待できなかったので,客引き合戦を繰り広げる空港ロビー出口付近のタクシーカウンターを利用.

2005にホテルに到着.

8月2日 ヤンゴン

 

ミャンマー到着後1夜明けて8月2日.途中合流する友人の分も含めてまとめて2万5千円分両替.歩く銀行だ.友人に会って渡すまで気が気じゃないな.

 

ホワイトハウスホテルのエアコン付601号室は10ドル.ヤンゴンはやっぱりちょっと割高だ.

 

でも,このホテルにはバッフェ式朝食のため欧米や日本からのバックパッカー諸氏にその名を知られている.日本ではなかなかできないマンゴー食べ放題だ.ここで他の旅行者との交流が生まれる.私的に好きな空間である.

ヤンゴン空港でバンコクからの飛行機を出迎え,友人と合流成功.この友人Y氏は私が前回ミャンマーに半ばむりやり連れてきて以来,なんとミャンマー好きになってしまっている.Y氏も前回は3月に来て以来なのだ.

インレー湖