1997年3月14日 小笠原へ出航

0722家を出発。このとき天気晴れ。東京に向かう列車は相変わらずのラッシュ。この人混みともしばらくはお別れだ。山手線では決死の覚悟が必要。上野で大きなザックと輪行袋(自転車がばらして入っている。)を持った3人組を発見。これは大変だ。無事についただろうか。山手線は一本見送ってやっと乗れた。浜松町着。浜松町と竹芝桟橋の間を通るのは何回目だろうか。ここの歩道には伊豆諸島と小笠原の島の形の石が道路に埋め込まれている。0853竹芝桟橋着。手続きを済ませ、列に加わる。列に並んだ順に機械的に番号札を渡され、船の中では隣になるのだから(2等室の場合)並ぶタイミングには十分注意したい。前後の人をよく見極めたい。気象通報。父島では東南東の風、風力3、晴れ、20hPa、18度。行く前までは晴れていた。0930乗船。

2nd class room

「おがさわら丸」6600t。中には食堂、シャワー、ゲームコーナー、売店、自販機などがある。部屋の中には一人分ずつ毛布が敷いてあり、枕と、掛ける毛布がある。スペースが狭すぎる。かなり詰め込んであるので、一人分のスペースは縦1.8m程度、横が80cm弱と横になるほどの広さしかない。きわめて窮屈な状態だ。隣の人は大学生らしい人で小笠原は3回目ということだ。しばらくして広いところに移動。一番下のEデッキだが、一人で3人分占領できるほどの余裕があった。テレビがあり、各種民放(東京タワーの電波の範囲内に限る。)NHKのBS放送、航路案内(GPSで現在の経緯度、速度、残りの距離、地図などが表示される。)、船内ビデオ(暴走列車とかをやっていた。)をやっている。案内所にコンパックの新型?パソコンが2台あり、1台は航路案内の表示制御用、もう1台は自動販売機の状態などが表示されていた。(WINDOWS 95らしい)また、この船には横揺れ防止装置『フィンスタビライザー』なる装置があるらしいのだが効果のほどはよくわからなかった。一人旅の人も男性女性問わず多い。グループも結構多い。あとはおじさんとおばさんといった感じ。

 

Ogasawara maru

新造船おがさわら丸の概要
竣工:1997年2月20日
就航:1997年3月1日
造船所:三菱重工業下関造船所
総トン数:6600トン
長さ:131m
幅:17.2m
速力:22.7kt
主機関:ディーゼル13500PS×2
横揺れ防止装置:フィンスタビライザー
所要時間:東京-父島25時間30分
旅客定員:1031名

小笠原丸エントランス

1000定刻通り東京・竹芝桟橋を出航、船は一路小笠原を目指す。父島二見港までは539海里の航程だ。レインボーブリッジが霞んで見える。1300過ぎに、州崎を過ぎ、東京湾からいよいよ太平洋に出る。早速揺れ始める。八丈付近がもっとも揺れた。あとから天気図を見て分かったのだが、低気圧の直下を通過したようだ。夕食は揺れがMAXの時間帯だったためか、食堂はがらがら。揺れのためまっすぐ歩けず、運ぶのが大変だ。衛星電話は高い。話しにくい。(声が0.25秒遅れる。)あまり音質も良くない。2200消灯。エンジン音などでよく眠れない。


出発前
3月14日小笠原へ出港
3月15日父島到着,島一周
3月16日ハイキング
3月17日母島へ
小笠原出航、東京へ
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