1997年3月16日 ハイキング

二見桟橋のバス停へ。どこへ行こうか考えたあげく、バスで小港まで行き、そこからジョンビーチまでハイキングすることにした。装備に時間がかかり、0815のバスには乗れず、0900のバスになった。(8時か9時の2回くらいしかない。)バス停についても誰もいなかった。ここで、こやまさんと、4人のおじさんグループが向こうからきた。

おばさん 「ジョンビーチの方へ行くの?」
私   「はい、そうですけど。」
おばさん 「迷うと危ないから一緒に行けば?」

山の中

4人のおじさんと一緒に行くことになった。旅は道づれ………だ。小港まで往復\1000。0917港 着。天気は雨がちらつく。ジョンビーチへ向けて出発。雨なんか気にしない。4人は飯田さん、砂田さん、西沢さん、武田さんといった。飯田さんは山歩きのプロということだ。何万かで買ったばかりの高度計、温度計などの測定器を持っていた。飯田さんの装備からもかなり経験を積んだ様子がうかがえる。重いのに、なにやらビールの缶をたくさん持っていた。

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おじさんたちは今日は本当なら南島へ行く予定だったらしいが、海が荒れて欠航。で、ジョンビーチへ行くことになった。すごい確率である。山はいかにも亜熱帯という感じの植物で覆われている。タコの木(パンダヌス)や椰子科の植物が多い。

1145ジョンビーチ到着。ここには何もない。ただ自然の海岸があるだけ。トイレ、自販機、電灯などの人工物はなにもない。早速昼食の準備に取りかかる。おじさんもB.Iクーポンできたとのことだが、1日目は民宿に無理矢理素泊まりで泊めてもらったそうだ。(食事はホテルシップ)昼のおにぎりもその民宿につくってもらったそうだ。あとは、ビールの缶を大量に持っていた。私の方もお湯を沸かし、梅粥と鳥粥を混ぜて作った。おじさんたちが持ってきたおにぎり、梅干し、ソーセージ、ビールまでもらってしまった。ありがとうございました。飯田さんはフィルムケースに塩、こしょう、七味唐辛子などの調味料、 みそなどを持っていた。途中でとったタコの木の実を賞味。かすかに甘いような味がする。 海に入る。寒くはないが、波が高かったのと、風が強いのが気になる。泳ぐことは可能だ。こんな時期に海で泳げるなんていうのもおどろく。3月に海で泳いだのは初めてだから。そういえば以前、小笠原へ行った人がいて、一年中泳げるみたいなことを聞いたことがある。内地では考えられないことだ。晴れ間がでると、暑い。何しろ、今年の冬は暖かいを通り越して、暑くて、みんな泳いでいたということである。1300天気は一時晴れ間も出てきた。気温25.4度、水温20.2度。

john.jpg1600の最終バスに乗る予定だ。ジョンビーチを後にし、来た道を戻る。僕とおじさん4人の他に、親子らしき女性二人、途中で知り合いになったらしき女の子2人(そのうちの1人はなんと自転車で小港まで来たという。もう1人はビーチサンダルでハイキングだ。すごいすごい。当初の予定では小港止まりだったそうだ。)もいた。1509小港着 雨、19.2度。 バスの発車までしばらく休憩。

わかりにくいので注意しながら理解してください。飯田さんらの東京の知り合いの知り合いに現在父島に住んでいる、島では顔の広い小山さんというおばさんがいる。小山さんの娘は父島で結婚した。娘が、父島に来たから、小山さんも父島に来たという。その、小山さんという方が、いろいろと手配してくれたそうである。

おじさん 「明日なにか予定ある?」
私  「特に決めてませんけど」
おじさん 「じゃあ良かったら母島へ行かない?往復の船賃出せば向こうでは8人乗りの車を特別に借りたから。」

すごいグループと知り合えたものだと我ながら驚く。こうして、明日は母島へ行くことになった。1630二見港着。曇り時々雨。明日の打ち合わせ。おじさんはまた民宿に今日も泊めてもらえるように頼むらしい。結局、断られて、ホテルシップに泊まったらしいが。


出発前
3月14日小笠原へ出港
3月15日父島到着,島一周
3月16日ハイキング
3月17日母島へ
小笠原出航、東京へ
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