1997年3月15日

at ship

0430、ヘールボップ彗星が見えるかもしれないと外へ行こうとするが、外部デッキ閉鎖中で不可。GPSのチャンネルには天気予報もあったのだが小笠原地方と東京地方、ともに予報は「晴れまたは曇り」という表示しか見たことがない。(またはというのがあやしい。)

1110定刻より20分ほど早く父島二見港着岸。北緯27度3分。タラップを降りながら感じたこと。暑い。湿度が高い。風が内地とは全然違う。これが年平均気温23度の(東京は15.6度)亜熱帯かと感じた。南の島へきたと感じさせられる。  服装はもちろん半袖。天気曇り、気温23.0度。道路や周囲の植物も見たことのないものばかり。ここの大村海岸ではじめて本物の珊瑚のかけらを見た。感動した。海もきれいだし、潮風も心地いい。マイクロバスで島内周遊へ。運転手によれば、父島は発見されてから400年、人口は2100人、母島は450人。

ウェザーステーション

晴れれば夕日が最高らしい。天気雨。「昨日までは晴れていたのに」と運転手。天気は変わりやすい。晴れることを祈ろう。

長崎展望台:兄島瀬戸が見えるところ。兄島飛行場建設予定地が見える。


 

初寝浦展望台:眼下には初寝浦海岸が。天気曇り。旧日本軍の倉庫跡や、防空壕が島の至る所にある。

亜熱帯農業センター

この時期でも温室の外でハイビスカスが咲いている。

小港海岸

小笠原随一の海水浴場。砂浜が広い。晴れないのが残念。

境浦:太平洋戦争(1944年)時、魚雷攻撃を受けた座礁船(濱江丸)が横たわる。

飛行場

兄島の飛行場建設予定地は貴重な生物がいて空港建設により生態系が乱れるからという理由でダメになったらしい。我々から考えれば自然破壊はやめろ。だから飛行場もダメだ。と言う考えになるが、島の人にとってみると生活上、飛行場は必要らしい。島には簡易な診療所しかない。だから、ここでは手におえないとなると、硫黄島か岩国か自衛隊の飛行艇が飛んできて(水上着陸可能なもの)羽田まで行き、そこから救急車で東京の病院へとかなり時間がかかる。輸送中に息を引き取ってしまうこともあるという。

気象観測所:百葉箱があった。

 

聖ジョージ教会を見る。


集落は港付近にかたまっている。少し奥へはいると、家は見あたらなくなってしまう。COOPで食料調達。何しろ週1便だから大変だ。昼飯を食べそびれたのでたこ焼き、ペットボトル入り麦茶、チョコレートを買う。だいたい定価販売と言ったところ。 ホテルシップこれは、簡単にいうと、港に停泊中の船を宿泊施設として使うものである。このホテルシップは、混雑するシーズン中のみしか営業していない。そうしないと、比較的安いホテルシップに客が流れてしまい、民宿が儲からなくなってしまうからだ。 部屋は男女別。グループの場合は一緒らしい。航海時みたく狭かったら眠れないぞと思いながら部屋の中へ。航海中とは違って、一人分のスペースは比較的広い。枕カバーもある。許容範囲だろう。船内の水道の水は薬臭い。下船してから、チェックインまでの間の船内の清掃は島の人がパートでやっている。


出発前
3月14日小笠原へ出港
3月15日父島到着,島一周
3月16日ハイキング
3月17日母島へ
小笠原出航、東京へ
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